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大阪高等裁判所 昭和60年(う)515号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人末永善久作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官小林秀春作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、理由不備の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人には、普通乗用自動車を運転して本件交差点を左折するに際し、左側並進車両との安全を確認すべき注意義務を怠つて左折を開始した過失がある旨判示しているが、右過失の存否の判断に必要な前提事実である被告人の左折指示地点等についての判示を欠いているから、原判決には理由不備の違法がある、というのである。

しかし、交差点で左折しようとする車両の運転者は、左折にあたり左側並進車両との安全を確認することによつてこれとの衝突を回避しうるのが通常であり、原判決は被告人がこのような一般的注意義務を怠つた過失により本件事故を惹起した事実を認定しているのであるから、原判示の注意義務及び過失を前提とする限り、その過失を認定する前提事実としてさらに所論の各事実を明示するまでもなく、原判示のように被害車両が被告人車の左側を並進していた事実を判示すれば十分であつて、原判決には所論のような理由不備の違法はない。論旨は理由がない。

次に、職権をもつて記録を調査して検討すると、原判決には以下のとおり理由不備及び判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある。

(一)  原判決は、被告人が「樋上俊昭運転の原動機付自転車に、自車左側前部を接触させ」たと判示しているところ、原判決挙示の司法警察員に対する供述調書には、「私の車の左前フェンダー付近と相手方の前輪付近とぶつかつた」旨の右判示に沿う供述記載があるけれども、原審証人藤田保の証言及び被告人の原審公判廷における供述によると、被告人は、事故後現場に来た藤田保巡査に対し、当初自車左側後輪のタイヤ後方部分に被害車両が接触したと供述していたが、被告人車の見分をした同巡査から、被告人車の左前より後方約一メートルから約一・六メートルの範囲に存した払拭痕を根拠に、被告人車の左前部にあつたものと説明されたため、これを容れてその後の取調べに際して前示のような供述をしたのであつて、自ら認識したところを述べたものではなく、また被告人車の当該部位には埃を掃き取つたような軽い払拭痕があつたのみで、車体そのものには何らの損傷もなかつたことが認められるのであり、一方、原審証人樋上俊昭も、被告人車を避けようとして左に倒れた後、被告人車の左後輪がバイクの前輪とホイルを轢いていく感じであつたと供述していることに徴し、被告人の前示の供述記載は直ちに信用できず、他に原判決の認定に沿う証拠はなく、原判決挙示の証拠によつて前示事実を認定することができないから、原判決には証拠理由の不備があり、破棄を免れない。

(二) 本件訴因として記載されている過失態様及び被害車両の位置は、「左側の後続の車両との安全を確認すべき注意義務があるのに、……左後方を後続する前記樋上運転の車両との安全を確認することなく、時速約一〇キロメートルで左折進行した過失」があるというのに対し(本件公訴事実中の並進車両との安全確認義務は、被害車両の右の位置からして不要であり、起訴状から削除洩れとなつたものと認められる)、原判決は、「このように左折しようとする車両の運転者は、自車の左側方を通過しようとする車両と接触事故を起すことのないよう、これとの安全を確認しつつ左折を開始すべき業務上の注意義務がある。ところが、被告人はこれを怠り、左側併進車両との安全を確認しないまま時速約一〇キロメートルで左折を開始した過失」があると認定判示しているのである。本件訴因では、被害車両が左後方の後続車両であり、同車両との安全確認義務違反が過失とされているのに対し、原判決では、被害車両が左側並進車両であり、同車両との安全確認義務違反が過失と認定されており、原判決は訴因と異なる被害車両の位置及び過失を認定したものというべく、訴因変更の手続を経ることなく右の認定をした原判決には訴訟手続の法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるので、原判決はこの点でも破棄を免れない。

よつて、事実誤認の論旨に対する判断をするまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三七八条四号、三七九条により原判決を破棄する。

ところで、原判決挙示の各証拠によると、被告人車は、本件道路の北行第一車線上を前方の渋滞車両に続き時速約一〇キロメートルで北進し、本件交差点を左折しようとしたものであり、一方被害車両は、右道路の北行の外側白線上(車道左側端から約一メートル)付近を北進し、右交差点を直進しようとしたものであることが認められるところ、被害車両の運転者である樋上俊昭は、原審証人として、「北行の外側通行帯にも先行車両等があつて思うように進めず、事故地点の約三〇メートル手前から被告人車と並んで時速二〇キロメートル位で進行していたが、被告人車が急に左折してきたため本件事故が発生した」旨供述するのに対し、被告人は、捜査及び公判の各段階を通じて終始被告人車が被害車両と並進したことを否定する供述をしている。原判決は右樋上の証言を採用して原判示事実を認定したものと認められるが、同証言中先行車両等の存在について述べる部分は具体性に乏しく、かえつて北行車線の車両が渋滞のため停止した際にも自車は進行できた旨述べている部分もあつて、本件当時北行の外側通行帯まで北行車線と同様に車両が停滞していたとは認めがたく、他方北行車線上の車両は渋滞のため停止、発進をくり返しながら徐々に本件交差点に向かつて進行していたことが原判決挙示の各証拠によつて認められるから、北行の外側通行帯をさしたる支障もなく進行していたと認められる被害車両が、事故地点までの約三〇メートルにわたつて、半ば足踏み状態にあつた被告人車と並進を続けたということは不自然であり、樋上の前示証言は、当時の被害車両の速度の点を含めて、にわかに信用しがたいものといわなければならない。そして、他に被告人車が左折を開始した時点での被害車両の位置を確定できるだけの証拠はなく、このことは前示のように被告人車と被害車両との接触状況(接触の部位、被害車両の転倒状況等)及び被害車両の速度等の客観的事実を証拠上確認できないことに起因するのであつて、さらにこれらの事実について審理を尽すことにより、本件における被告人の注意義務と過失の内容(過失の有無を含む)を明らかにする必要があるのみならず、その審理の過程で本件訴因の注意義務と過失の内容を原判決の認定どおりに変更する手続を経る必要が生じる場合も考えられないではないから、本件は未だ自判に熟しておらず、原裁判所においてさらにこれらの点の審理を尽させるのが相当である。

よつて、刑事訴訟法四〇〇条本文にしたがい本件を原裁判所である大阪簡易裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官谷村允裕 裁判官河上元康 裁判長裁判官兒島武雄は転勤のため署名押印することができない。裁判官谷村允裕)

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